:「舞姫」(森鴎外)の今むかし②

 おもしろいと思ったのは、「舞姫」というテクストが当時どのように受容されていたかを垣間見たからだ。

舞姫」の意匠は恋愛と功名を両立せざる人生の境遇にして此境遇に臆病なる慈悲心ある――勇気なく独立心に乏しき一個の人物を以つてし、以て此の地位と彼の境遇との関係を発揮したものなり。故に「舞姫」を批評せんと欲せば先づその人物(太田豊太郎)と境遇の関係を精査する必要となす、抑も太田なるものは恋愛と功名を両立せざる場合に際して断然恋愛を捨て功名を採るの勇気のあるものなるや。……之を要するに著者は太田をして恋愛を捨て、功名をとらしめたり。然れども予は彼が応さに功名を捨て、恋愛を取るべきものたるを確信す、……
石橋忍月「「舞姫」気取半之丞」『国民之友』1890. 2

 「舞姫」というテクストは戦後(特に80年代まで)、文学研究・教育実践が同じ弧を描く形で「近代的自我の成立/挫折」という観点から読み解かれてきた。しかし当時の読みは恋愛/功名の二項対立で受け取られている……ということは、ですよ。明治における「立身出世」と戦後における「近代的自我の確立」は社会的に同じ機能を果たしたのではないか? と考えたのです。以下説明。

社会学者・見田宗介によると、「立身出世」は、積極的には資本制の推進力=プロテスタンティズムの機能的等価物として、消極的には天皇制の矛盾を繕うものとして、国家システムにコミットするものとして存在したという(→『現代日本の心情と心理』)。それならば「舞姫」が発表された当時、立身出世のコードで受容されたのは頷けるのだが、それならば同じ「舞姫」が戦後において「近代的主体」のコードで読み解かれたのは、この「近代的主体」、個人が国家にコミットする推進力として働いたのだろうか? そう思って。