:どうエポケーすることを選ぶか

    世界を象るのはあなたの心だ。
    世界を象るのはあなたの言葉だ。
    その言葉を選び取ることはあなたにできるが、
    その言葉を「なぜ」選んだか、
      究極−最終的な説明は、できない。


    そんな究極−最終的な説明をしようとすると
    言葉が無限後退をおこすだろう。
    そんな究極−最終的な説明をしようとすると
    言葉は自己撞着におちいるだろう。


    そんなとき、あなたは「エポケー」している。
    思考をとめて、世界の複雑さを処理するために。
    それは一種の信仰にもみえる、が、
    それ自体は弱いことでも、責められることでも、ない。


    あなたがどう世界を見るかは
    あなたの「エポケー」次第でどうにでもなる。
    だったら、自分を虐待する「エポケー」の仕方でなく
    自分を快くさせる「エポケー」の仕方もできるだろう。


    あなたは、どんな「エポケー」を選びますか?