意味に飢える社会
つよいしげきが ほしい。 まいにちが つまらない。 恋愛依存症の背景って、そういうところにあるのかなぁ。とりあえずからだをかさねていれば、いま・ここに存在していることの確認は、できるし。
そういえば宮台真司氏は十年ほど前だったか、「意味」から「強度」へと煽っていた。しかしオウム問題などなどあって、日常を理解する「意味」=合理的思想をどのように調達するかという方向に、近年、宮台氏も舵をとった……。
日常のことのすべてに「意味」を求めていく運動が、仕事という領域にも浸透し、「意味」を調達する動機づけがしにくくなっているということ――内田氏のニート論*1の要諦はそんなところにあるのだろうか。だとしたら、「仕事」という領域に「意味」の調達がなされにくくなったことが「いま」ニートという言葉と共に問題化されたのは、どうしてなのだろうか(宮台氏が「終わりなき(=意味なき)日常を生きろ」とアジテートしたのは、もう十年くらい前でなかったか)? そんなことを考えながら、こんな本を買いたくなった。
- 作者: 香山リカ
- 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
- 発売日: 2005/05/26
- メディア: 単行本
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恋愛のゴール(の一つ)が別れであり、一度別れを口にしたら安易に撤回してはならない――この本にはそんな節があった。この言葉にはゆさぶられました。理由はたいへんパーソナルなところにいきつきそうなので……かけませんが。ゴメン。
文脈を外してこう書いたら、なんだか説教くさいのだが、たしかに読んだ時はすんなり、その理由を含めて自分の中に「はいってきた」……であるにもかかわらず、精神科医である著者をさしおいて恋愛依存症を論ずるのはおこがましいことこの上ないのだが、雑感を。
恋愛依存症の人って、自分を支えてくれるとかいうことの回路が彼/女と別れることで断ち切られちゃうんじゃないかって考えちゃうんじゃないかなー。だからこそ、別れるって一度口にしても、関係が続いていくのかなーとも(私は)思うわけで。別れるっていうことも「自分を見て!」的な、ある種の「意味」を求めるといったメタ・メッセージにすりかわっていくようないかないような……。
だとしたら問題の根は恋愛の美学や倫理学に求められるべきではなく、「意味」を求めて止まない近代社会が背景にあって……と、きわめて社会的なところに求められる気がしますが、どうなんでしょ?