最近ハマル本

神経学とか注意散漫とかを研究のキータームにしたこともあり、最近、趣味でこんな本をかいつまんでます。

学習障害(LD)―理解とサポートのために (中公新書)

学習障害(LD)―理解とサポートのために (中公新書)

読み書き障害(ディスレクシア)のすべて―頭はいいのに、本が読めない

読み書き障害(ディスレクシア)のすべて―頭はいいのに、本が読めない

「私たちは言語を使って反省する」ということが真なら、それを促す読み書きが身体的な問題で困難だということを共有するのは、それ自体悪いことではないと思う。ただ、この手の本が最近数多く出版されることが引っかかる。私見では、この手の言説はいちど、それも明治中期に教育学術会を席巻したことがあるから。なにかテジャヴをみせられているかのようだから。

ロボット化する子どもたち―「学び」の認知科学 (認知科学のフロンティア)

ロボット化する子どもたち―「学び」の認知科学 (認知科学のフロンティア)

神経心理学的視点からのLD(学習障害)

神経心理学的視点からのLD(学習障害)

うーん、今日は本を挙げるだけになってしまった。