責任ノック

中学生のとき「責任ノック」という練習があった。


野球部の練習の一種なのだが、内外野・補球+画塁への送球を、各守備位置すべてミスせずにやり遂げるまで、延々最初からくり返される。ミスするごとにホームベース上に集まり、腕立て10回→守備位置へ、の繰り返し。


きょうはそんな「責任ノック」の雰囲気だった。昨日から都立入試がはじまったわけだが、教室の全生徒5人中3人の結果は昨日のうちにでた。私はその3人の中で(いや、全生徒5人の中でも)いちばん成績のいい子の応援にいったわけだが、


(塾内偏差値的にはありえない)結果惨敗


→本日は5時半起き、朝6時出発・都の城北へ別の子を応援に。こういうとき、すべて自分の応援の仕方がわるかったのではないかと、後悔後悔また後悔するわけで。あのとき、ああすればよかった。こうすれば相手の負担がすくなくてすんだんじゃないか…「責任ノック」というのは、ミス犯した人をとやかく非難するというより、その他の人に「あのときああすれば…」という気持ちを掻き立てるものだ。そういう感触は、究極的な責任は私以外にありつつも、そうであることがわかってもなお、そう感じられないこと、自分の身に哀しみや苦痛が降り懸かってくる。それが苦しい。


……しかし昨日応援しにいった子、きょう同じところうけて合格してきたよ!! これで今日はフロはいって「心の洗濯」ができます。