すぐ辞める若者たち

こんな記事をみつけました。

思い描いていた「先生像」のようになれない。関西地方の公立小学校で高学年を受け持つ新人女性教師は、そんな現実を受け入れることができなかった。

 きまじめな性格もあって、あらかじめ自分が決めたところまで授業を進めないと気が済まない。そのため、児童たちの質問には取り合わず、教科書のページをめくり続けた。そのうち、誰も女性教師の言うことを聞かなくなった。

 授業中なのに立ち歩き、騒ぐ児童たち。「学級崩壊」の単語が浮かんだが、認めたくなかった。教師である自分が一喝すれば、すぐに静かになると思っていた。まさか無視されるとは考えもしなかった。

 周囲のベテラン教員たちの助言にも耳を傾けず、「私は悪くない」と言い張ったが、やがて「辞めたい」ともらすようになった。

 採用後、すぐに辞めてしまう教員が少なくない。大阪府の場合、1年以内に退職した教員(死亡、免職含む)は平成15年度が11人で採用者数の0・86%、16年度19人(1・38%)▽17年度21人(1・13%)▽18年度28人(1・56%)−と、少しずつだが増えている。目立つのは、保護者対応などに悩んで鬱病(うつびょう)などの精神性疾患にかかったケースを除くと、冒頭の女性のように現実と理想のギャップを克服できずに教壇を去るケースだという。

 あるベテラン教員はこう指摘する。「現実と理想が違ったとき、多くの人は現実を理想に近づける努力をします。ところが最近は、現実に目をつむって自分を正当化してしまう人がいる」

 このような書き出しから始まる記事は、企業に余裕がなくなり、研修期間の短縮など、人材育成にかける手間や費用は激減している。にもかかわらず、企業は新入社員に従来と同レベルか、それ以上に高度な質、量の仕事をこなすよう求めることについても指摘している。単に若者の資質にのみ還元するわけではない。


 となると考えたのは、私は悪くない、理想と現実のギャップをみたとき現実に眼をつむるようになるのは、人材育成にかける手間ヒマを抜く→自己責任の風潮→私は悪くないと居直る、というスパイラルだろうか、ということだ。何でもかんでも自分で責任をとらなきゃいけないと考えるあまり、「私は悪くない、あってないだけなのだ」と言い切ってしまう。自分の言を言われてるようで怖いなぁ。。

 
 ま、そういうときだからこそ。5年後どうなってるかな、後悔してないかな、死ぬときどうかな? ってことを考えて生きたいと思う。「私は悪くない」といって、ほんとうに5年後、死ぬとき後悔してないか? と考えてみて、すこし落ち着いてみたいと思う。