その手があったか!

 勤務先で竹取物語を教える段で。例によって教科書指導書の「読み」が作られる過程を脱臼すべく志向トレーニングしていた私。しかし古典の教養は私にはない→古典の「あの人」ならどう考えるかなー、とやって捻り出したアイディアが「主人公は誰か」+「竹とは何か」の合わせ技だった。心内描写→主人公は翁、と無理矢理読み(この作法が無理矢理であることは百も承知である)、竹にまつわる古典常識から「姫に対する翁の思いやり、分かれがたさ」といった、教科書的な読みを脱臼していったわけでした。


 が、とあるサイトでこんな論考が既に紹介されていて「その手があったか!」と脱帽。係り結びに注目することでも、この話が「翁が竹の中に黄金を発見し、勢ひ猛の者へとなっていく」物語であることが説明できるんですね。で、それを使って、もしかしたら擬似親子的なコードをもって最終場面を読むのって「ひとつの読み方」にすぎないんじゃん? って指し示してみても、私のもくろみは達成できたわけですね(苦笑)


 次の論文のタイトルは「メディア社会における『古典』の授業:配電盤の改謬を意識した『竹取物語』の実践」かなwwwwwwwwwwww