読書会で行ったブルデュー『再生産』の用語をわかりやすく書き換えるスレ。

  • 客観的真理の誤認が起こる:「世界への予期、または対象への信頼を立てることができる」ことを指す。これによって「文化的恣意」が構成される。
  • 文化的恣意:人々の間に成立した=間主観的に構成された文化。文化的構築物と言い換えても可。これは「言説」「制度」という形態をとる。
  • 象徴的暴力:文化的構築物(=言説・制度)による、他者への抑圧
  • 教育的働きかけ:人々の持つ「世界への予期/対象への信頼」を前提にすることによって、(教育の場で)行為を紡ぐこと。


 行為者(この場合「教員」)は社会的に共有されている対象への信頼(→自己が行いうる/過去に行った行為)を用いて自己の行為を紡ぐのだから、教員は自己の行為を前提として(自らの)行為を再生産する→自己言及システム的なものとして「教員」/教育システムを語るという点に、ブルデュー理論の可能性がある。


 そう考えると、再生産されるのは(あるいは、自己正当化の掛け金として紡がれるのは)、必ずしもブルデューが言うように「階級」である必要がない。これ、ブルデューの陥穽。