師匠批判はつらい

…でもやんなきゃなんない。そこに先行研究があるかぎり。教材研究として「あの」論文を読んでからもう4年以上がたつ。


テキの論証はほとんど非の打ち所がない。しかし脚注で「?」を見つけ、なぜ「?」だという根拠を論文中に求め、「!!」を見つける。明日はすべて書き上げる(強い決意)。


しかし…教材研究で「あの」論文は、はっきりいって潰したくない。その論文、いわゆるメッセージ分析・内容分析と異なり、メディアを介したコミュニケーションを政治性が発動する《場》として――教科書を結節点として立ち現れる様々な社会的権力と欲望のせめぎあい、さらにはそこで生成する意味生産のポリティックスが発動し、教科書の受け手がある種の政治性を携えた主体となる《場》として――捉えることを志向するものであった。


国語教育で「あの」論文以上のものが出ているとは考えにくい。早く国語教育で「あの」論文がスタンダードになってほしいと切に願う。だから政治的には、「あの」論文を殺したくない。