原因解明
教育学の言説平面を相対化しようとしてたのに、教育学のデータで描いてるから結局「どつぼ」にはまるパターン。そりゃ書けねぇよ!
- 「あれ」は、当時の知識水準から考えれば相当胡散臭い言語体系である。
- とくに内面性をいきなり読み込んでる辺りが、相当胡散臭い。
- 「あれ」はほんとうに受容されていたのか
- 「あれ」がもし受容されてたとして、内面性の読み込み、「あれ」の受容は西洋への憧れだけで説明できるものなのか。
- 「あれ」の受容は、ホントはもっと試行錯誤の過程があったのではないか。
- というか、「あれ」は寺子屋との差異だけではなく、むしろ共有平面があったのでないか。「××という言説がもともと日本特殊的で…」と文明論的に論じるのでなく、旧来の実践と近いとか。
- 「あれ」は当時の実践と、ホントは直結などしてないのではないか。
- 擬古文暗誦の世界観、当時の国語とは何なのか、試験が2−3行の音読で済むというのは、何によって支えられているのかを調べる必要がある。
- 教科書の現物+意味内容+様式が持つ言説の位置価+プラティックから、上記論点を論じるべきなのではないか。
- また、言語内在的に=当時の「言文一致」論議と関わっているのではないか。
- その結果、「あれ」と実践の落差があるということが論じられるのではないか。
ポイントは「価値転倒でなく複雑化」!!