離任式1

 1と書いたのは、来年もあるから。とりあえず一校目、終わる。文学教育と2chが「登場当初『非教育的』ということで叩かれた」点で共通していること、メディアの編制が変わることで文学教育が評価されたこと、2chのゆくえと教育の未来について、延々と語る。

 時計の針は戻すことはできない。だが進めることはできる。

(以下、離任式でのスピーチ全文)

 世の中では有害なメディアやインターネット、なかんずく2chなどが教育的によろしくないとして、叩かれることがしばしばあります。しかし時代をさかのぼってみると、奇妙なことに、今の2chとまったく同じ、当初教育的によろしくないと言われていたものが、大手をふって国語の教科書にのっています。それは何でしょう。他ならぬ文学です。君たちは一年生で「少年の日の思い出」、二年生で「走れメロス」、三年生で「故郷」を勉強すると思いますが、そうした文学作品です。


 ではなぜ、教育的によろしくない文学が教科書に載ったのか。これは夏目漱石という作家を通して考えると、よーくわかる。夏目漱石という作家も、生前は今のような教育的によろしいといった評価はなされなかった人でした。ただ、彼が死ぬ間際にそれが変わった。東大界隈の読者が、彼の作品をこう評価するようになる。いわく、夏目漱石は人格者だ。夏目漱石の作品からは、それが伝わってくる。


 こうした物言いには、奇妙な前提がいくつかあります。まずひとつめ。そもそも作品のインクのシミからは、夏目漱石が人格者だということはいっさい分かりません。しかし読者は、そうしたことを勝手に読み込んでいます。ふたつめ。夏目漱石の人格が、作品を通して読者に伝わるという考え方。ここには、いわば作品は作者の人格、その人の心やその人らしさといったものの乗り物であるかのような態度があります。そうした態度は、本や雑誌のメッセージが、読者にきちんと届くはずだという思い込みになっていきます。


 そうした思い込みはいくつかの条件によって、世の中に広く受け入れられていきます。その、いくつかある条件の中でもっとも大きかったのは、やはり日本文学全集の刊行だった。昭和のはじめに生まれた日本文学全集はブームとなり、人々に受け入れられていきます。現代の文化研究の水準から明らかにされているのは、二つのことです。ひとつ、この日本文学全集、それを買うことが高尚な作者のメッセージを買うことであると信じられたということ。そしてもう一つは、そうした作者の高尚なメッセージが日本人らしさを表しており、日本文学全集を買うことが、買った人々にとって、日本人としての誇りを手に入れることでもあったということです。


 こうして本や雑誌のメッセージが、読者にきちんと届くはずだという思い込みが、皆が信じることによって思い込みと気づかれなくなります。なぜ思い込みが気づかれなくなったのか。文学全集に載るくらいの作家なら……という思い込みをつくっているものは何か。それはその「文学全集に載るくらい」という、その価値判断を支える条件にこそある。文学全集に載る作家は、少数です。つまり選ばれた作家なのです。そうした選ばれたごく一部の人が、本というメディアを通してメッセージを送る。1対多数という情報の流れ方が、1である情報の送り手、つまり作者を、なんだかエラそうにみせているわけです。


 国語の教科書にもそんなところがある。つまり1つの作品、1つの教科書。それをたくさんの生徒に教えるという情報の流れがある。だから教科書が、その中にのっている文学作品の作者が、なんだかエラそうに思い込む。だとすると問題なのは、1対多数という情報の流れ方こそが、文学作品を価値あるものとして思い込ませる条件であり、しくみでもある。そして1対多数という情報の流れ方は、ラジオやテレビの時代を通して、あたりまえのものとなっていった。教育はそこにあぐらをかいていればよかったわけだ。


 しかし状況はかわってしまった。インターネットによって誰でも情報発信ができるようになった。いままで文学作品の価値を、そして教育の在り方を支えてきた1対多数という情報の流れ方が、あたりまえでなくなった。ということは私たちにとっては、必ずしも文学や教科書がエラいものでもなく、選択可能なものとなってしまった。


 そうした時代において、学校教育は今までのあり方をそのまま引き継げばいいのでしょうか。あるいは資格や受験の前段階として割り切ってしまえばいいのでしょうか。私はそうは思いません。このような知識爆発の時代だからこそ、私たちはあふれる情報の海なかで奥行きと深みのある知識を主体的に構造化していくことのできる能力、そのような能力を育んでいく場としての教育が、ますますその重要性を増しているのだと思います。


 こうした歴史の要請に応えていくには、大学の附属校である私たちが自ら、知の基盤の地殻変動に応じた新しい研究教育の仕組みを生み出していかなければなりません。1対他のメディアを通してよい国民、よい国家を作るために20世紀の大学の研究と教育の基盤、附属中学校の基盤は形成されてきました。そうして確立された教育の知が、今日、深い危機に直面しているとするのならば、私たちは今、新しい情報テクノロジーの時代に即した教育を、この東京学芸大学という場で世界に先駆けて創造していきたいと思います。情報、メディア、コミュニケーションといった新しい学問領域で、しかも東京学芸大学という、日本の学問的権威の良くも悪くも頂点に立つ教育大学の心臓部に、これだけの規模のスタッフおよび生徒がつくる学びと研究のが成立していることの意味は、大変大きいと思います。


 私はたった1年、非常勤としてできることはそうした変革のごく一部でしかありません。2chをとりあげ、文法を考えてみるといったプログラムは、既存の教育システムからすれば異端児です。しかしこの異端児が、やがて異端児ではなくなるとき、何が生じるでしょうか。それは、東京学芸大学が変わるということです。東京学芸大学か変わるとき、何が生じるのでしょうか。それは、日本の教育研究のあり方が大きく、そして社会のあり方が少しだけ変わるということだろうと思います。東京学芸大学の中心性を十分に利用しながらも、私たちはピラミッド型の、縦軸が横軸に常に優越してしまうような学問や社会のあり方を、内側から変えていきたいと考えています。そんな思いで2chを扱い、文法を考えるといった授業をしてきました。そうした私の授業を心配しつつもクビにしていただかなかった懐の大きさと、何よりそれを一緒になって作ってくれたあなたに対し、心から感謝し挨拶を終えたいと思います。ありがとうございました。