2004-09-02から1日間の記事一覧

散逸する瓦礫の中を

子ども観が変わるということは、大人が子どもの「複雑性」をどう処理するかが変わるということだ。それが変わることによって子どもの身体観も変われば、言語がどのようにその「複雑性」を処理するかについての役割も、変わる。

教育・内面・『教育時論』

木村直恵『〈青年〉の誕生』では、身体を動かして「運動」すること(=〈壮士〉的実践)を蔑み、内面・自己に配慮することによって非政治化していく(=〈青年〉になる)様子が描かれていた。 「教育」の誕生も同じことだった。上の文の「〈壮士〉的実践」を…