逃げちゃダメだ×∞

卒業論文修士論文で、方法も対象もまったくちがうことをやった。あたしゃどうやら芸術家肌の物書きらしく、根源的な衝動が先行し、作品が先にできてしまう。なまじっかその時々において(問題点はあるにせよ)上々の評価を頂いてもきた。だからこそ悩む。


つまり、こういうタイプの研究者は、研究計画書が書けない(というか、自分自身の問題関心をいつもできた作品から事後的に構築する癖があるため、描きにくい)。計画性ねぇし……。


研究者としてハイ、廃業ケテー………( °▽°)=◯)`ν°)・;'.、 バキィッ!!


 ボツ原稿を追悼する意味で、以下、ボツ原稿の一部をウプしておきます。

  • 研究の背景

 1990年後半からメディア史の研究成果が量産されたのと時を同じくして、メディア・リテラシーという標語が広範に流通した。当時、私は国語教育を専攻していたため、言語をメディアとして見る射程に期待する意味でメディア・リテラシーの動きには一定の評価をしつつ、メディアを「批判的に」扱うというメディア・リテラシーのスタンスに欺瞞性を覚えた。以下説明する。


 McLuhann[1963=1986]などの語るところによると、メディアは(1)コミュニケーションのスケール・ペース・パターンを枠づけ、(2)新たなメディアの登場は私たちが身体的存在として世界に埋め込まれ、他者や世界と関係するあり方・身体感覚を変容させていく存在となりうるという。そうであるならば、教育の場ではマスメディア以前に教員がコミュニケーションを統制するメディアであるはずで、メッセージを「批判的」に検討するというコミュニケーションを駆動させるメディアとしての教師自体が、実は特定の社会的・政治的磁場によって構成された産物であると考えられる。にもかかわらず、メディア・リテラシーを掲げる実践者は、自らのメディア性・メディア観を相対化するような動きを見せず、メディアはマスメディアのメッセージ内容に縮約され、そのあり方が支持されている。


 これだけメディア・リテラシーという標語が流行し、主体のエンパワーメントを促進しようと意図されているにもかかわらず、それが奇妙なねじれをひきおこしていくそのありかたである。たとえば、メディア・リテラシーにおいて「情報を批判的に摂取し、受け手の能動性を引き出す」といった語り口は多くの論者・実践者に共有されている。しかしその標語から帰結されるものが、どのようなメディアにも性差別や帝国主義的な意図、ないしメディアの「嘘」を読み込むパターナリスティックな解釈をし、結果として「悪いメディアを追放せよ」という事実上の民間検閲に接合してしまう、ねじれた構造があるように思われる。このねじれはどこからくるのか。


 これらの点から、メディアを扱う能力=メディア・リテラシーがどう構想され、受容されてきたかという史的考察を行い、メディア・リテラシーを語るねじれを解きほぐしていくことが必要だと思われる。