進まず?

 先日のゼミで「おまえの論文の仮想敵は何だ?」といわれました。

 そのときはとっさに『教養の歴史社会学』(宮本直美,2006年,岩波書店)が既存の音楽学に相対したように、ひとまずは国語教育学の相対化に資すのではないか、と漠然と考えていた。ところがきょう、ふとパソコンを打っていると、そうでもないことがわかった。もちろん、国語教育学に対する思いがないわけではない。しかし、おそらくはもっと大きなものによって動かされていることが、打っててわかった。

 まだ(この場では)くわしくは言えませんが、国民国家や言文一致による内面の「発見」を論じる論者たちの論理構成が、そろいもそろって宿命論的に聞こえる、そしてほんとうの「敵」はそこにはない! と論じたいのだと思う。